BOROTS

日々思った事とか

5.30

昨日の飲みの影響で朝少しだけ寝坊だったり、眠かったりな一日で特に書くこともないので、先日の話でも。

先日、大都会江東区に生まれ育ったものとして荒川放水路の歴史を知らないわけにはいかないだろということで、赤羽岩淵駅の方にある荒川治水資料館に荒川のお勉強をしに行ったわけですが、その資料館に荒川沿岸の海抜を立体的に表現した地図がありました。
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こんな感じ。青い箇所が海面(多分T.P.(東京湾平均海面))よりも低いいわゆるゼロメートル地帯なのですが、江東区の東側(旧城東区)と江戸川区の西側にその地域が多い事がわかります。(画面中央すぐ左あたりから緑の箇所が増えてますけど、その辺りから武蔵野台地が始まるわけで、皇居から西側になんたら坂とかなんたら谷とかいう地名が多いのは武蔵野台地に登っていく坂があったり、少し入り組んでて谷になっていたりするのでそいういう地名がついたって話なんですよ。これマメな。)

でもって、ゼロメートル地帯の該当箇所をもう少し拡大してみると
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大都会江東区砂町あたりが真っ青すぎて泣けてくる。
確かに小学校に海抜何メートルというのと、過去の水害でどこまで水が来たか表示してた柱あったもんなぁ。学校でもゼロメートル地帯って習ったし、今思うと子供の頃からかなりの教育はされていたんでしょうね。

等高線で見ると
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こんな感じ。バッチリ砂町はゼロメートル地帯。今住んでる辺りは少しだけ海面から上の場所だけど、水害に合うリスクはゼロじゃない場所(区からハザードマップも出てたりする場所だったりします)。

そんなこの辺りは昔
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こんなんだったそう。もう土手の水面の高さがやばい。

こういう資料を見ると、江東区の東側、江戸川区の西側の低地っぷりにびっくりしますが、それよりなによりそんな海面よりも低い場所にかなりの人が住んでいて、ここ数十年、大きな水害が起きていないという安定した治水事業に感動を覚えます。

それと同時にやっぱり荒川放水路レベルの規模の大きい工事って現在では見られないだけに、タイムマシンがあったら当時の工事の風景を見てみたいなぁと思ったりもしたのでした。

では。